モエルライフ。

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発達障害グレーゾーンを生きていく

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先日、姫野桂さんの著書「発達障害グレーゾーン」を読みました。

感想を一言で言うと「こういう本を読みたかった」に尽きます。

発達障害の診断は下りていないものの、その特性による生きづらさをガッツリ抱えている人達の姿には、色々と考えさせられるところがありました。


私自身もその特性があるからこそ気になっている「発達障害」というテーマ。

今回は「グレーな人たち」について考えてみたいと思います。



 

発達障害の人やグレーな人たちも社会の前線で働いている

実は私の職場でも、発達障害グレーゾーンと思しき人や実際に診断が下りた(でも会社には言えずに悩んでいる)ような人たちがいます。

当たり前の話ですが彼ら(彼女達)はちゃんと社会に出て働いていますし、その点においては他の人間と何ら変わりはありません。

中には正社員になっていて、人を指導する立場になっている人もいます。


ただ、やはりどこか違うといえば違うのです。


具体的にどこが違うかというと、やはりコミュニケーション面において難ありといわざるを得ません。


極端に喜怒哀楽が激しかったり、逆に感情の起伏がほとんどなかったりという情緒面もさながら、理解しあうことがとてもむずかしい”一線”のようなものが厳然と存在しています。

共通感覚の欠如、とでも言うのでしょうか。


私はおそらくグレーゾーン寄りなので、彼らと健常者(この言い方好きではないのだが)のギャップがなぜ生まれるのかも理解できますし、実際に中立ちすることもあります。

しかし、それでもどうしてもわかり会えない部分があるようなのです。

その溝を言語で埋めることは容易ではありません。

彼ら自身もそのことは十分理解しており、なぜうまくいかないのか苦しみ、葛藤しています。

発達障害であることをカミングアウトすべきか否か

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発達障害という言葉。

様々なメディアが取り上げてきたせいか、かなり一般的になったきたように思います。

でも、実際の職場ではまだまだ偏見が多いのが実情です。

中には、発達障害の傾向が見られる人間を「アスペ」「宇宙人」などと嘲るような人間もいたりします(言うまでもなく最低です)。


そんな光景を目の当たりにしておきながら、自身が発達障害、あるいはその疑いがあることをカミングアウトすべきなのでしょうか?

実際のところ、発達障害であることをカミングアウトしたとしても、会社組織における受け皿だったり、それに準ずる制度はほとんどありません。

中には障害者枠として正社員登用される方もいるでしょうが、多くの者は派遣や契約社員として地道に働き、正社員登用を目指しています。

発達障害であることをカミングアウトすることによって、「あの人は出来ないから仕方ないね」という暗黙の了解を得、その引き換えに「出世のチャンス」を失うとすればどうでしょうか。

むしろ「ちょっと変わっているところがあるけど仕事はバリバリ出来るやつ」を貫いていたほうがマシだと考えるはずです。

その結果彼らは自分をすり減らし、耐え続けることを選択せざるを得ないのです。

出世できるグレーゾーンと出世が難しいグレーゾーン

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グレーゾーンの中には出世できるタイプと出世が難しいタイプの2種類が存在します。

出世できるタイプは管理職クラスも夢ではありません。

その違いはどこにあるのでしょうか。


あくまで個人的な見解ですが、様々な特性の中でもLD(学習障害)の度合いがどれぐらい強いかがポイントと考えてます。

昨今企業の人材不足は深刻化してますから、多少のADHD(多動)やアスペルガーでも、「実務ができればOK!」という組織は案外多いです。

でもLD(学習障害)だけは、どこまで実務を教えても身につきにくいため、結果的に企業側がサジを投げる、ということが往々にして起きています。

また、なんとか業務は習得できたとしても伸び幅がほとんど無いため、やはりどこかの時点で会社を去ることになることは多いようです。

グレーゾーンの間でもこのような格差の広がりがあるのは、大きな課題の一つでしょう。

グレーゾーンには理解し合いささい合えるネットワークが必要

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このように「目に見えにくい」ハンディを抱えているグレーゾーンの方は、ある種の孤独を抱えています。

例えとしては不適切かもしれませんが「自分は普通の人間とは違う」という苦悩を抱える仮面ライダーの姿にも重なります。

「手助けして欲しいんじゃない。せめて理解をして欲しい」

こんなことを考えるのは当然ですよね。


「発達障害グレーゾーン」には、発達障害の診断が下りていない人たちが集う「ぐれ会!(発達障害グレーゾーンの茶話会)」の様子が描かれています。

ぐれ会!は月に1回開催され、「発達障害未診断」つまりグレーゾーンの方が集まり、特定のテーマについてお菓子を食べたりお茶を飲んだりしながら話あうひと時を過ごします。

その場では普段抱えている生き辛さを皆で共有したり、色々な情報交換をする場になっているとのこと。

非常に素晴らしい試みと思いますが、ぐれ会!のようにグレーゾーン当事者が集う会は他にまだないようです。

参加に至っては「自分なんかが参加しても大丈夫だろうか」という葛藤も当然あると思いますが、こういう場を必要としている方はたくさんいると思いますし、もっと広まれば参加のハードルはどんどん下がっていくはずです。

もっと全国的に活発化すればよいのになと思います。

発達障害者グレーゾーンの行先

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これからグレーゾーンの方はどうなっていくのでしょうか。

社会的な認知が進み、「個性の一つ」としてオープンになっていけばよいのですが、残念ながらその光景はまだ見えそうにありません。

とはいえども、誰かが養ってくれるわけではありませんから、「生きづらさ」を抱えながらも働かねばならないのです。


生き辛い。

なんで自分だけがこんな思いをしなければいけないんだろう・・・


しかし、そのような思いをしている人間が、自分だけではないと知ることが出来たら。

辛いことに直面しても、吸収し合える仲間がいるとしたら。


いくらか楽に生きていくことができるはずです。


「発達障害グレーゾーン」の内容に共鳴した人たちの中から、第二、第三のぐれ会!が生まれてくるのを願わずにはおれません。

是非、多くの方にこの本を手にとってもらいたいと思います。

www.azanael.net