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【徒然】桜の美しさを私達はどこまで理解しているのか問題

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ようやく春らしい日が訪れ、私が住む福岡も桜がいい見頃になってきました。

そんな話を職場の同僚としていたところ、「うちの子(小学生)、桜の美しさをあまり感じていないっぽいんだよね」とのこと。

厳密にいうと、「桜が美しいのはわかる。でも、外にまで見に行く必要はない。TVで見れば十分」と主張しているみたいなんですね。

んーーーーーそっかぁ。確かに、見るだけならTVでもいいよねぇ・・・

そうはいったものの、どこか引っかかるものがありました。

桜の美しさをちゃんと説明できるのか

その違和感の正体は、「桜はTVで見るだけで十分」に反論できるだけの材料をもっていないからに他なりません。

「花見も楽しいよ」という意見もあると思いますが、実際のところ花見の場合は桜よりも飲食のほうが楽しいわけです。


いくら桜が美しいといえども、いってしまえばただの花です。

色彩だけでいうとチューリップのほうが美しいかもしれません。


桜は日本人の心だよ!!

・・・といっても、小さい子どもだって立派な日本人なわけです。

その日本人が「TVで十分じゃね?」と言っているわけですから、この根拠も成り立ちません。

日本人なら無条件で美しいと感じなければ「日本人の心」とは言えないと思うのです。

我々が見ている桜は戦後に植えられたものがほとんど

私達が見ている桜の8割は「ソメイヨシノ」という品種です。

学校や堤防、公園に植えられているソメイヨシノは戦後に植えられました。

つまり、あまり歴史はないんだよね。ソメイヨシノに限って言えば。

なので普段見ている桜を通じて「桜を日本人の心」と言うのは、「植林を森林」と呼ぶような違和感もあります。

そんなことを書いてる中で、一つの仮説が浮かびました。

我々は桜で想起される「思い出」を楽しんでいるのではないか説

確かに桜の美しさを味わうならTVで十分。

TVだと一番見頃の桜が高画質で映されるわけですから、肉眼で見るより確実に美しい。

これはもう認めざるを得まい。


そこでちょっと発想を変えることにします。

私達は、もはや桜そのものを楽しんでいるわけではないと考えます。

つまり桜そのものではなく、桜によって呼び起こされる、春の思い出やワクワク感を楽しんでいるというのはどうでしょうか。

これならなんとなく「桜は日本人の心」というフレーズに少し近づくような気がします。

春という節目の季節を告げるのは桜

卒業式、入学式、会社への入社等、春は節目の季節です。

人との別れの季節でもあり、出会いの季節でもあります。

そんな春とセットになっているのがまさに桜というわけです。

気候的には過ごしにくい冬が終わり、過ごしやすい季節の到来を告げるシンボルでもあります。


つまり、桜によって私達は「また春を迎えられた」という喜びや、「何か新しいことが起こりそう」なワクワク感を想起するのですね。

春を迎えた数が多いほど、桜で想起される記憶や感情が大きくなるともいえます。

ゆえに、子どもは大人と比べて桜そのものに対するワクワク感が小さい、という考察も成り立つのではないでしょうか。

うん、すっきりした!

まとめ とにもかくにも桜は楽しんだものが勝ち!

今回の「桜はTVでみたほうがいい」発言を聞いて、「ドライな現代っ子」って解釈はしたくなかったんですよね。

それに、思い返せば私も子どもの頃は桜をそんなに好きではなかったような気がします。

でも、きっと今回のお子さんも小学校を卒業し、中学や高校、大学生や社会人になるにつれ桜が特別なものになっていくのだと思います。

とにもかくにも桜は楽しんだもの勝ちだよ!!

私も今しか楽しめない桜を、めいっぱい楽しみたいと思います!

酒だー! 酒持ってこーーい!!