大峯千日回峰行という”行”をご存知でしょうか。
奈良県・吉野山の権王堂から、大峯山の頂上にある大峯山上本堂までの往復48キロを、1000日間*1、1日も休まず歩き続けるという大変過酷な行です。
これを成し遂げたのが、現在宮城県仙台市の慈眼寺の住職、塩沼亮潤さんです。
塩沼さんが大峯千日回峰行を成就するまでの道のりは著作「人生生涯小僧のこころ」に記されていますが、修行に無縁な私達の心にもズシンと響く内容です。
死の覚悟の大峯千日回峰行
大峯千日回峰行という行、1300年のうちで成就したのはただ1人(塩沼さんが2人目になる)だそうです。
この行がどれぐらい過酷かは、その「出で立ち」にも現れてます。
大峯千日回峰行の出で立ちは、白い死出装束です。
というのも、行を中断した場合は、いかなる理由があろうとも自ら命を絶たねばならないという掟があるからです。
さらに万一の際に自決するための縄と短刀も携えさせるという念の入りよう・・・。
行日誌にはこう記されています。
七百十五日目、台風九号直撃、三時間の仮眠で出峰する。雨、風、もう手のつけようがない。
けもの道を通り、風を避けながら、雨が強すぎて耳も痛い、手や顔も雨で叩きつけられて痛い。
全身びしょ濡れ、命いくつあっても足りん。(「人生生涯小僧のこころ」より引用)
大げさでもなく、「一旦始めたら途中で行を辞めてはならない」という掟は絶対なんだね・・・
千日の間で生きたくなかったという日は1日としてない
山は想像以上に険しく、また、どんなにコンディションに気をつけていても不調に見舞われることもあったそうです。
しかし、それでも塩沼さんは行を「辛い」とか、「辞めたい」と思うことは一度足りとてありませんでした。
行者自身が楽しくなければ、人に希望を与えることなど出来ません。苦しみを与えられて卑屈になっている自分を見ても、誰も元気にはなりません。それを肝に銘じて行に向かっておりました。ですから、千日の間で生きたくなかったという日は1日としてありません。(「人生生涯小僧のこころ」より引用)
ここに1つの学びがあります。
多くの人は、降ってきたような辛い事に対して泣き言を言いがちです。
ついてない
なんで自分がこんなめに・・・
あーあ、最悪だ
反面、何もない平穏な日々にはどれだけ感謝できているのでしょうか。
自ら苦しい中に飛び込んでも、心意気ひとつで人は感謝の日々を送ることが出来る。
そんなことを塩沼さんは教えてくれます。
偉業をなしとげでも人間として完成するわけではない
大峯千日回峰行のように命をかけた修行や偉業を成し遂げるのは、確かに凄いことです。
しかし、それを乗り越えたとて人間として完成に至るわけではありません。
カルロス・ゴーンさんではないですが、おごってしまったが故に何もかも台無しになることもあり得る話です。
修行を終えた塩沼さんもこのようにも述べています。
行に関しては手を抜かず日々精一杯行じましたので、何一つ後悔はありません。しかし、良い縁、悪い縁、すべてに感謝できるか否かと聞かれた場合、正直に申し上げまして、一生懸命頑張ったんですけども、まだすべてに感謝できる自分ではございませんでした。(「人生生涯小僧のこころ」より引用)
塩沼さんに大きな転機が訪れたのは、むしろ修行を終えたあとでした。
20年も長い間わだかまりがあった人との氷解を経て、塩沼さんは「我を捨てることが出来た」のだそうです。
大きなことを成し遂げたあとにどんな自分でいられるかどうかが、本当の修行なのかもしれませんね
塩沼さんの公演も素晴らしい
ここまでで読んでいただいてアレですが、私の下手な文章では、塩沼さんの素晴らしさが伝えられる気がしません。
塩沼さんの著作をお読みいただくか、TEDで公演された動画を見ていただくのが早いですね。
話の内容もさることながら、凛とした声で非常にひきつけられるものがあります。
15分ぐらいの動画なので、是非見てみてください!
「最近なんだかネガティブだなぁ」という方には特にオススメですよ!
*1:毎年120数日を9年かけて行う